たとんの躁鬱的日常

躁鬱病と付き合うたとんとその家族の日常です✊

双極性障害(躁鬱病)になるまで②

高校3年生になってアルバイトに復帰しました。親から新しく携帯を貰い新しい人間関係が出来ました。

 

今までとても狭かった私の交友関係は広がりそれはそれはとても楽しい世界でした。

 

そんな私のことを#さんが気に入るはずもなく会う度にDVはエスカレートしていました。

 

毎回ボロボロになって出勤する私、バイトが終わるなり店の入口の前で待っている#さんに首を掴まれて車に押し込まれる私をみた店長さんが心配し私をご飯に誘ってくれました。

 

店長さんとご飯に行く日はとても緊張していました。なんせ#さんと付き合ってから人とご飯に行くことなんてなかったしもしバレたらと思うととても怖かったです。

店長さんとは軽くご飯を食べ時間も遅くなり車で話していると私は店長さんのことが好きで好きでたまらなくなりました。きっと#さんから逃れられる唯一の人だってことに気がついたからだと思います。

その日から店長とは親密な関係になりました。

#さんには就職の関係で忙しくなるから会えない等適当な言い訳をしておりバイトに出ていることも内緒にしていました。

バイトが終わると店長とホテルに行く。朝ご飯を食べてバイバイしてまたバイトで会う、そんな関係でしたが暴力を振るわない優しい店長が大好きでした。ただ、何度告白しても振られ続けてました笑

 

店長の事が本気で好きになってしまった私は#さんに別れようと何度も言いましたがその度にボロボロにされてズルズルと2股状態でした。

店長とはディズニーや いちご狩り等沢山行きました。彼女にはして貰えないけど、彼女ポジションにある事で満足でした。

 

高校も卒業して私は介護士になりました。変則勤務をこなす中で#さんとの時間は徐々に減っていき店長とは変わらず会っていました。そんな矢先店長が交通事故で加害者になり免許を失ってしまいました。ですがそんなことどうでも良くて完全に足女になっていました笑

ただ、社会人になりバイトには出られない日が増えていたので店長が他のバイトの子ともこうなっていくのではという不安でいっぱいでした。不安になると安定を求めてしまう私は徐々に店長から離れていき#さんと寄りをと戻すかのように会っていました。

 

そして店長とも会わなくなり平々凡々と過ごしている時#さんの転勤が決まりました。高速で2時間半くらいの隣の県でした…。#さんは一人暮らしになるからマザコンも治り結婚して安定できるのでは?と考えた私は親の制止を振り切り仕事を辞めて#さんについて行きました。

転勤先でも介護士として変則勤務をこなしながら通信制大学にも通い始めました。ただ慣れない職場、慣れない土地、慣れない家事、頼れる人もいないし勉強もしなければいけないという状況で私は毎日いっぱいいっぱいでした。

当時私はグループホームで働いていましたが月16日は夜勤で夕方に出勤して次の日の昼に帰るという生活でした。疲れ果てて眠たい中#さんに「お腹空いたんだけど」「洗濯しないとyシャツないんだけど」「🏩したい」等言われて正直うんざりしていましたが反抗する気力もありませんでした。🏩を断っても無理矢理されることで私の精神はものすごいスピードですり減って行きました。いつものように疲れてるから今日は勘弁してと言うと#さんはものすごい怒り方で「全然🏩してくれないじゃん!!!ちゃんとしてくれるのなんて月に1回くらいで年間だと12回とかになるんだよ!?」と言ってきてあ、無理だこの人って思った記憶が鮮明です笑

 

こんなことが続いて抑うつな日が増えてきた頃私が夜勤で働いてる間に#さんはスナックやキャバクラで夜遊びしている事が発覚しました。その日から私は毎日誰かに助けて欲しい気持ちでいっぱいになりました。でも突然#さんと別れて1人になるのが怖かったので彼氏を作ってから別れようと思いました。

 

1ヶ月くらいで9個上の彼氏が出来ました。この日から私は#さんと別れる準備を始めました。

別れる準備がボチボチ整って来た時私の躁鬱の起点となる出来事が起きました。

③に続けます